■ヨーロッパ編11:グレートブリテン及び北アイルランド連合王国ロンドン(33カ国目)
■機種:N172SP
■日時:2023.02.17
■概要:フランス共和国パリからロンドンへ(約400km)
■ブリーフィング
イングランドの歴史メモ。
グレートブリテン島には紀元前9世紀ころから紀元前5世紀ころにかけてケルト系民族が侵入し、ブリテン島各地にケルト系の部族国家が成立した。
紀元前55年ローマのユリウス・カエサルがグレートブリテン島に侵入し、西暦43年ローマ皇帝クラウディウスがブリテン島の大部分を征服。ローマ帝国時代のブリタニアはケルト系住民の上にローマ人が支配層として君臨した。 ただしローマの支配はブリテン島北部のスコットランドとアイルランド島には浸透せず、ケルト系住民の部族社会が続いた。
5世紀になって西ローマ帝国がゲルマン系諸集団の侵入で混乱すると、ローマ人はブリタニアを放棄した。5世紀から9世紀にかけて、ゲルマン人のアングロ=サクソン諸部族がイングランドに七王国(ヘプターキー)と呼ばれる国家群を建設。9世紀の初めにこの中の一つであるウェセックス王国のアルフレッド大王によって政治的に統一された。
この統一とほぼ同時にデーン人の侵攻が活発化。1013年にはデンマークのクヌート大王によってイングランドは北海帝国の領域に組み込まれ1042年まで支配された。
1066年にはフランスのノルマンディー公ギヨーム(即位してウィリアム1世)によって征服され、イングランドの支配層はノルマン系フランス貴族になった。
ノルマン朝とその後を次いだプランタジネット朝の歴史的な経緯によって、フランスとイングランドの関係は非常に複雑なものになった。これを遠因とする百年戦争の過程においてイングランドは大陸の領土を喪失し、基本的にブリテン島に完結する王国に再編成された。
■フライト・ログ
ペルサン=ボーモン飛行場。『三銃士』でポルトスが留まっていたシャンティイの近く。
あれがアミアンか。アミアンの和約は、ナポレオン戦争中の1802年。
チョーサーの『カンタベリー物語』で知られるカンタベリーが見える。カンタベリーは大聖堂の門前町として形成された。
■フライト・データ
・国名:フランス共和国(32カ国目)
・出発空港:シャルル・ド・ゴール国際空港 LFPG
・滑走路:9L
・標高:392ft
・出発時刻:14:38(21:35)
・国名:グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(33カ国目)
・到着空港:ヒースロー空港 EGLL
・滑走路:27R
・標高:83ft
・到着時刻:16:39(23:36)
・飛行時間:2時間1分(計100時間41分)