■ヨーロッパ編10:フランス共和国パリ(32カ国目)
■機種:N172SP
■日時:2023.01.27
■概要:スイス連邦ジュネーブからフランス共和国パリへ(約460km)
■ブリーフィング
古代ローマ人は、フランスに相当する地域をガリアと呼んでいた。紀元前1世紀、カエサルの遠征によりローマの属州となる。
476年に西ローマ帝国が滅びると、フランク族のクローヴィスが建国したメロヴィング朝フランク王国が勢力を伸ばし始めた。
メロヴィング朝の宮宰であったカール・マルテルは732年にイベリア半島から進出してきたイスラーム勢力をトゥール・ポワティエ間の戦いで破った。その子ピピン3世は751年にカロリング朝を開く。
フランク王国はピピンの子であるシャルルマーニュ(カール大帝)の時代に最盛期を迎える。
987年、西フランク王国の王統が断絶し、パリ伯ユーグ・カペーがフランス王に選出されてカペー朝が成立。
カペー朝はその後も ルイ9世やフィリップ4世といった有能な国王の下で勢力を拡大していったものの、1328年に王統が断絶してフィリップ6世が即位し、ヴァロワ朝が成立した。
しかしこの即位を巡ってカペー家の血を引いているイングランド国王エドワード3世との対立が深まり、1337年に百年戦争が起きる。1453年、シャルル7世のもとでカレーを除く全てのフランス領を奪回。
16世紀前半のフランスは、ハプスブルク家との抗争を繰り返しながら中央集権化を進めた。
宗教改革の影響でユグノー(カルヴァン派)が増加し、新旧両教の対立から1562年にユグノー戦争が勃発し、30年以上も続いた。
1589年にはヴァロワ朝が断絶し、アンリ4世が即位してブルボン朝が成立。1598年、アンリ4世はナントの勅令を発して内戦に終止符を打った。
続くルイ13世の統治下では宰相リシュリューが中央集権化と王権の強化を推進。
ルイ14世の統治下では絶対王政が確立される。
1715年に即位したルイ15世の統治下では啓蒙思想が発展した。
一方で1756年からの七年戦争でフランスは孤立し、1763年のパリ条約で多くの植民地を失い、ルイ16世の時代に社会の緊張は頂点に達し、1789年にフランス革命が勃発。
革命後も混乱は続き、1804年にはナポレオンは皇帝に即位して第一帝政を開く。
ナポレオン敗北後は、ブルボン朝のルイ18世が即位して王政復古。
1830年に七月革命が勃発。
1848年に勃発した2月革命によって王政は崩壊し、第二共和政が成立。しかし政情は安定せず、ルイ・ナポレオン大統領は1851年12月2日のクーデターを起こして実権を握り、1852年12月2日にはナポレオン3世として即位し第二帝政を開いた。
1870年の普仏戦争に敗北してルイ・ナポレオンは退位。
1871年にはプロイセンにアルザス・ロレーヌを割譲することで和議が成立し、パリで蜂起していたパリ・コミューンも鎮圧されて、第三共和政が打ち立てられた。
第一次世界大戦ではドイツ帝国を中心とする中央同盟国と戦い、140万人が犠牲となった[。
第二次世界大戦では、1940年にナチス・ドイツのフランス侵攻に敗北して第三共和政は崩壊。
戦後、1946年にフランス第四共和政が成立したが、植民地問題で国論が割れ、これを収拾するため1958年、ド・ゴールが首相に就任し、1959年には強力な大統領権限を含んだ第五共和政が成立した。
■フライト・ログ
レマン湖北側の丘を越える。このあたりが国境、もうフランス入り。
■フライト・データ
・国名:スイス連邦(31カ国目)
・出発空港:ジュネーヴ・コアントラン国際空港 LSGG
・滑走路:04
・標高:1410ft
・出発時刻:11:45(21:40)
・国名:フランス共和国(32カ国目)
・到着空港:シャルル・ド・ゴール国際空港 LFPG
・滑走路:27L
・標高:392ft
・到着時刻:14:07(0:12)
・飛行時間:2時間22分(計98時間40分)