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■西アジア編12:キプロス共和国ラルナカ(27カ国目)

機種:N172SP
日時:2022.09.27
概要:レバノン共和国ラフィク・ハリリ国際空港からキプロス共和国ラルナカ国際空港へ(約200km)

ブリーフィング
キプロス共和国は、トルコの南の東地中海上のキプロス島の大部分を占める共和制国家。
キプロス島の一部はイギリス海外領土であり、キプロス共和国領ではない。
さらに1974年以来、南北に分断され、島の北部約37%を、国際的にはトルコのみが承認する「独立国家」である北キプロス・トルコ共和国が占めている。キプロス共和国は国際連合加盟国193か国のうち、192か国(トルコを除く)が国家承認している。
キプロス共和国の首都ニコシアは北キプロス・トルコ共和国の政庁所在地でもある。

キプロスは紀元前8000年頃先史時代からの深い歴史を持ち、地中海貿易の中継点として、ヒッタイト時代、アッシリア、アケメネス朝ペルシャ、プトレマイオス朝エジプト、ローマ帝国、東ローマ帝国と12世紀末まで代わる代わる支配下に置かれた。

1191年にイングランド王リチャード1世が征服したことで、キプロスはイングランド領となった。

1489年にキプロスはヴェネツィア共和国に譲渡され、1571年にオスマン・ヴェネツィア戦争の際に、オスマン帝国がヴェネツィアよりキプロスを奪い支配下に。

19世紀後半、ロシアとの戦争に負けたオスマン帝国に便宜を図った代償として、イギリスが1878年6月にキプロス島の統治権を獲得。1914年の第一次世界大戦がはじまると、オスマン帝国はドイツと共にイギリスと敵対したため、イギリスはキプロスを併合し、1923年のローザンヌ平和条約でイギリスへの併合が正式に承認された。

1960年8月16日にキプロスは、ギリシャとトルコとイギリスの三国間の協定の元に「キプロス共和国」として独立を遂げる。
1974年7月15日ギリシャ統合派のギリシャ軍部指導によるクーデターが起こり、5日後の20日にはトルコ系住民を守ることを理由にトルコ本土よりトルコ軍がキプロスに侵攻し、首都ニコシア以北の土地を占領しました。その後、国際的な圧力により停戦が宣言されましたが、島の37%がトルコ人の支配下に置かれたままとなり、1983年11月15日トルコ占領地域が独自に「北キプロス・トルコ共和国」独立を宣言した。南北キプロスの間では国際連合の仲介により和平交渉が何度も行われ再統合が模索されているが、解決を見ていない。

フライト・ログ


12:56、ベイルートを出発。


今回はずっと海上。


さらば、ベイルート。


さらば、フェニキアの故地。


もう陸は見えない。


海。


海。


海。


海。


空。


おお、キプロス島の端が見えてきた。


島全体が薄っすらと。


キプロス第2の商業港湾都市ラルナカ。リゾート地らしい。


ラルカナ塩湖に沿って空港がある。


直接ベースレグに進入しファイナルターン。奥が塩湖。


ファイナル。


海きわきわ。


まあ、OK。


13:58、ラルナカ国際空港に到着。

フライト・データ
・国名:レバノン共和国(26カ国目)
・出発空港:ラフィク・ハリリ国際空港 OSDI
・滑走路:03
・標高:83ft
・出発時刻12:56

・国名:キプロス共和国(27カ国目)
・到着空港:ラルナカ国際空港 LCLK
・滑走路:22
・標高:5ft
・到着時刻13:58

・飛行時間:1時間2分(計76時間32分)